認識と美醜の話
リアルってさ、マジで作り込まれすぎだと最近思うんだよね。
色の種類とかどんだけあるんだってくらいの豊富さだし
シワとかシミとか産毛とかもう無駄でしかないよ。
そういうのがちょっとあるだけでなんか気持ちが萎えたりすることがあるのって凄く面白いことだと思う。
そもそも顔が良いとかだって、パーツの形が微妙に違うとか位置のバランスが違うとか結構些細なことだったりで、全然印象が変わるから不思議なもんだよね。
要は無茶苦茶細かいんだよ、判断が。
でもその癖、とあるキャラクターを描いたとして、忠実に再現した絵とそれなりに下手くそな絵でもどっちも同じキャラクターだって認識できちゃうんだからこれまた不思議。
すごい些細な違いを汲み取って様々な受け取り方が出来るし、対象の幾つかの特徴を記憶して他のものにも適応して同じものだってわかるの、凄いバランス感覚だよね。
この人間の鋭敏さってのは、脳の発達によるものだったり、危険察知がしやすいようにという進化で発達したものなのかな。
でもやっぱりこのリアルすぎるリアルと敏感すぎる感覚は、今の平和な世の中じゃ自分にとっては不便を感じることが多いかも。
着飾ったり化粧をしたりするのは、テクスチャの均一化の為だと思ってるんだよね。
冒頭にも上げたけどリアルのもの、ここでは人間の肉体ね、って細かすぎるじゃん。
しかもその微妙な違いでかなり印象が変わることもある。
要は細かいムラが印象を左右することがあって、それが余計なんだよね。
だからそのムラが見えないように、表面をならすわけだよ。
そうするとなんか小綺麗な印象を受けていい感じに見えるってわけ。
2次元のものがなんで魅力的に見えることがあるかっつーたら
いい意味で情報量が少ないということが大きいと思うんだよね。
リアルであるようなムラが殆どないから、これに尽きるんじゃないかな。
しかも、人型とかいう特徴を備えていれば普通に人間だと認識出来る。最強かよ。
どんなに細かく描き込んだって、リアルと比較すればたかだかしれてる情報量なんだよな。凄く均質でキレイに見えてしまう。
まーそもそもわざわざ細かく描いて汚く見えるようにはしないって話だけど。
だから逆に2次じゃあ情報量が少ないと、普通だったり微妙な顔の人間を表現するのは非常に難しいんだけどね。ブスはバランスを大きく崩せば結構いけるんだけど。
この記事で何が言いたかったか?要は惨事じゃ抜けねーってことだよ!リアルはクソ!