もしかして図書館って最高の施設なのでは?
今日は図書館で暇を潰してた。
就職活動と偽って外でダラダラと過ごすことがあるんだけど
そういえばちょっと離れてるけど図書館があったなと思って
久々に本を読みに図書館へ行ってきた。
至極当たり前のことだけど色んな分野の本があって
昔より興味の幅が広がっている今からすると宝の山のように思えた。
なんかシステムがハイテクになってたり
ちょこっとでもラノベが置いてあったりして時代の流れを感じたね。
ただ同じ分野でもたくさんの本があるからどれを読めばいいのか
判断しづらいという難点もあったけど。
心理学について学びたいと思ってたから
その場でいくつかの本をネットで調べて検索かけたけど
そんなうまい具合に置いてなくて適当に選んだ本を読んできた。
今日読んだ本は
アドラーについての入門と承認についての本。
心理学っていうとカスみたいな自己啓発系とかも多くて
そういうのじゃなくてもっと体系的に知りたいから
予約して取り寄せてきちんと学ぼうと思ってる。
別に今の現状を特別どうにかしたいとは思ってないし
人間、ひいては自分への理解を深めるためのツールとして
心理学が面白そうだなと思ってるからまともなやつを読みたいんだよね。
外でスマホをピコピコ弄って時間を潰すより
よっぽど有意義になりそうだし面白い知識に触れられることに
今とてもワクワクしてる。クーラーも効きすぎてないから過ごしやすいし。
長らく途絶えてた読書習慣がこれで戻るといいな。未来の自分に期待
外部からの評価を見るのって面白いよね
ちょっと前にふと見かけた性格診断テストをやってみたんだけど
目についた時に気が向いたらたまにやるんだよね~。
ちょっと結果を貼ってみる。
エムグラムってやつで調べりゃ一番上にすぐ出てくるから。
上のに関してはまぁ別にって感じなんだけど
下に貼ったやつがちょっと面白かった。
超特異的ってなんだよ(笑)
大げさすぎる言い回しにちょっとクスッときたわ。
こういうのやってもはいはいバーナム効果バーナム効果ってなるけど
それでも解説みたりするのは結構好きだったりするんだよね。
それはやっぱり自分が外からどう見えるかはなかなか自分じゃ測れないから
外部からの評価って凄く新鮮だったりして面白いんだよね。
他人からよく見られたいという欲求があることは全く否定しないけど
それだけじゃなくて、自分では思っても見ないような視点というか
マジで?!そうくるかぁ…みたいな評価のされ方があったりして
コペルニクス的回転が生まれる的な全く新しい価値観に触れた気がして好きなんだ。
性格診断じゃあそういうのは別にないけどね。
他人から面と向かって言われた評価は正直素直に受け取れない性格をしてるから
もっと自分のいないところでポロリと出てくる感想なんか知りたいんだよね。
はっきり言うと自分の悪口とか陰口とか聞いてみたいなと常々思ってる。
とはいっても、あいつニートらしいよ?クソだよね~とか、はいその通りですね。しか言えないような普通すぎるやつじゃなくて、もうちょっと別ベクトルの感じのね。
もちろん否定的な意見を言われて、自分もこなくそってならないわけでもないけど
どちらかというとなんでその人がそう思ったのかという方に意識がいくかも。
これは別に自分自身に対する評価に限らず、自分が作り出した何か、例えばまさにこのブログに対するものでも同じくね。
特にネットの感想って偽る必要性があまりないから生々しい意見が見れて大好きなんだよな~。たまに㋖の人とかトンチンカンなこと言ってるやつもいるけどそれはご愛嬌
まぁなんのかんの言っても他人とのコミュニケーションを極力断っている現状では
他人から評価される機会もほとんどなくそれを目にする機会もないんだが。
思い出ってなんだ?
自分は過去のことをあんまり覚えられない質で
何があったかという出来事はぼんやりと思い出せたりもするけど
その時自分がどう感じていたとかさっぱり分からないんだよな。
人と遊んだ記憶なんか、断片的なシーンは思い浮かぶものの
自分が何を思っていたのかは全然思い出せない。
たぶん……楽しかった……ような……気がしないでもない……みたいな感じ。
みんな過去のことよくお喋りするけど
よくそんなことまで覚えてんな~としか思えないんだよな。
いやそりゃあ全く覚えてないってわけじゃないけど
どこどこへ行ったな、くらいしか覚えてないし
楽しかったよね~とか話されても、さぁ?どうだったっけ?になってしまう。
もちろんその場では適当に合わせるけどね。
たぶん自分は記憶を関連付けて引っ張り出してくるのが全然出来ないんだと思う。
過去に楽しかったことはなんですか?って言われても何も答えられないし。
そもそも自分の感情に確証があまり持てないのもあるだろうけどこれはまた別の記事でやろう
ゲームとかアニメとか小説とかコンテンツを消費していた記憶なんかは
だいたいあらすじくらいしか思い出せないけど
楽しかった楽しくなかったかは比較的思い出せる気がする
たぶん情報の抽象化がやりやすいから感情の補強がしやすいのかもしれない。
楽しかったような?
↓そういやキャラが可愛かったな
楽しかった気がする!
凄い雑だけどこんな感じ?
感情の要因が特定しやすいからそこを根拠として蓋然性が高まる的な。
人と遊んで楽しいと感じる要因って
なんかもうちょっと複雑な感じするじゃん。
一つや二つの要素だけじゃなくて、もっと複合的な雰囲気みたいなさ。
だからこそそんな細部まで覚えてないし
複雑で理解しづらいからぼんやりしまくるんだよな~。
一応ここでそれっぽくタイトルに戻るけど
思い出ってどこまで覚えてりゃ思い出になるんだろ?
何かがあったという単なる事実だけ?
それともそれに付随する感情も?
個人的にはやっぱり当時の感情も覚えててこそな気がするけどね。
だって事実しか覚えてなきゃそれって記憶っていうよりただの記録と変わらなくね?
あまり自分で覚えてる意味がないと思うな。それなら外部装置に置いときゃよくね?
そういう意味では自分に思い出って殆ど無いかもね。
まぁ何を思ったか覚えているといっても、今思い出せるそれが当時の感情とは限らないだろうけど。
どうせ今この瞬間からしか観測や判断は出来ないわけだし、過去が実際どうだったかなんてすべからくどうでもいいことだよな。
んなこと思ってるからろくに何も覚えてないんだろうな(笑
ニートになってよかったこと
今ニート3年目なんだけど
今までの人生の中で一番、生を実感している気がする。
学校に通ってた時なんかは
特別つまんないとか面白いとか思ったことはあまりなくて
まぁとりあえずこなしてたってだけで正直殆ど思い出せることがない。
だんだんとこなすことすら出来ずにドロップアウトしたしな。
かといってニート時代でも毎日似たようなことしかしてないし
さっぱり思い出せることなんかないけどね。
でもこのブログを始めた時期、今年入ってからくらいから
流石に色々考えるようになって初めてきちんと自分と向き合えている気がする。
学生時代もぼんやりとうだうだ考えていたことはあったけど
ニートほど追い詰められた状況じゃないし危機感なかったからな。
学校に通っていたようにとりあえずこなして適当な職についてたら
こういう風に考える機会があったようにはどうも思えないんだよな。
ボーッと普通に生きていた頃よりは
社会から指差されようとも色んなこと考えられるようになった今のほうが状況がクリアになったというか、自分が生きている世界を少しでも理解し始めてきた気がして楽しいと思ってる。
認識と美醜の話
リアルってさ、マジで作り込まれすぎだと最近思うんだよね。
色の種類とかどんだけあるんだってくらいの豊富さだし
シワとかシミとか産毛とかもう無駄でしかないよ。
そういうのがちょっとあるだけでなんか気持ちが萎えたりすることがあるのって凄く面白いことだと思う。
そもそも顔が良いとかだって、パーツの形が微妙に違うとか位置のバランスが違うとか結構些細なことだったりで、全然印象が変わるから不思議なもんだよね。
要は無茶苦茶細かいんだよ、判断が。
でもその癖、とあるキャラクターを描いたとして、忠実に再現した絵とそれなりに下手くそな絵でもどっちも同じキャラクターだって認識できちゃうんだからこれまた不思議。
すごい些細な違いを汲み取って様々な受け取り方が出来るし、対象の幾つかの特徴を記憶して他のものにも適応して同じものだってわかるの、凄いバランス感覚だよね。
この人間の鋭敏さってのは、脳の発達によるものだったり、危険察知がしやすいようにという進化で発達したものなのかな。
でもやっぱりこのリアルすぎるリアルと敏感すぎる感覚は、今の平和な世の中じゃ自分にとっては不便を感じることが多いかも。
着飾ったり化粧をしたりするのは、テクスチャの均一化の為だと思ってるんだよね。
冒頭にも上げたけどリアルのもの、ここでは人間の肉体ね、って細かすぎるじゃん。
しかもその微妙な違いでかなり印象が変わることもある。
要は細かいムラが印象を左右することがあって、それが余計なんだよね。
だからそのムラが見えないように、表面をならすわけだよ。
そうするとなんか小綺麗な印象を受けていい感じに見えるってわけ。
2次元のものがなんで魅力的に見えることがあるかっつーたら
いい意味で情報量が少ないということが大きいと思うんだよね。
リアルであるようなムラが殆どないから、これに尽きるんじゃないかな。
しかも、人型とかいう特徴を備えていれば普通に人間だと認識出来る。最強かよ。
どんなに細かく描き込んだって、リアルと比較すればたかだかしれてる情報量なんだよな。凄く均質でキレイに見えてしまう。
まーそもそもわざわざ細かく描いて汚く見えるようにはしないって話だけど。
だから逆に2次じゃあ情報量が少ないと、普通だったり微妙な顔の人間を表現するのは非常に難しいんだけどね。ブスはバランスを大きく崩せば結構いけるんだけど。
この記事で何が言いたかったか?要は惨事じゃ抜けねーってことだよ!リアルはクソ!
みんなスマホ好きだよなぁという話
スマホの携帯性の高さはいいと思うんだけど
みんな自宅に帰ってもスマホで色々やるんでしょ?
自宅でスマホ弄るよりPC触ってるほうが100倍長い自分には理解できないんだよなぁ。
日本人て謎のiPhone信仰があるから、通信量に上乗せして割賦でコスパの悪い5万とか高いと10万近くするiPhoneを多くの人が買ってるわけじゃん。それも2年おきとかで。
そんなんだったら安いPC買ったほうが家でのネットは捗る気がするけどねぇ。
まぁ常にどこでも使うものだからお金を掛けるっていう発想なのかもしれないけど。
ていうか今はPC自体を持ってない人が結構いるらしいしな。
ネット回線も必要だしスマホで事足りるってことなのかな?
ただモバイル回線だけだと、みんな色々ゲームやったり動画みたりですぐ容量なくなりそうだけどねぇ。
じゃあPCの何がいいかって言ったらやっぱり一番は画面の大きさだよね。
スマホは拡大縮小が簡単に出来るとはいえど、複数のことは同時にし辛いし誤タップがマジでいらつくんだよな~。
基本的に小さい画面で作業するのって嫌いなんだよね。
テレビゲームはよく遊んだけど携帯ゲーム機はあんまりやらなかったし。
ショートカットがほぼ使えなくて、必要なアクションが増えるのもクソなとこだし。
後は容量の問題かな。
クラウドとかsdとかの手段はあるだろうけど、アクセスが面倒だったり大した容量じゃないとかの問題があるしー。
ニートになって時間が有り余るようになってからは、おかず収集にハマってどんどん容量食うし。何テラとかになるとスマホじゃ全然管理しきれないしみんなどうしてんのかね?やっぱPC必要じゃね?
最近夜眠くて記事書く気しないから今日はもういいや。タルい
生物学的な性差以外に男と女を分けるものはなんだろう?
VR技術の発達で、あたかも性別の違う自分になれる
ということが体験できる世の中になってきている。
唐突だが自分の性的指向はストレートで、女性が好きである。
より正確に述べるならば、女性らしい肉体(と声)に性的興奮を覚える。
これって中身がどうこうというよりは、そのガワによって好きとか好きじゃないとか
を決定づけている比重が大きいように感じている。
だから美少女の中身がおじさんであってもまぁ大して問題がないような気がしてくる。
生物学的(体や声)なところが女性であればいいのであって
それ以外に女性らしさを感じているから興奮するとか好きだとかいうことはあるのだろうか?
例えば生物学的な性差以外には脳の働きが違うとか言われる。
男は空間把握能力にたけ、女はコミュニケーション能力が高いとか。
ただこれは全体の傾向であって、必ずしも個人全てに適応されるものではなく
個人差で覆るよう些細なことのように思えるし、だからなんだって感じもする。
また男性が生きていく環境と女性が生きていく環境は違うため
その影響は性差として大きいかもしれない。
女性にしかない生物学的機能による影響だったり
男性社会で女性が不利でどうのこうのとかいう影響だったり
ただ、それらの影響を受けて形成される傾向があるから
女性のことを好きになるとか興奮するっていうのはやっぱりピンとこない。
じゃあ本当にガワだけが条件を満たしていればいいかって言われると
実はTSモノってあんま好きじゃないんだよなぁ。
でもTSモノって大概はTSした人物の一人称視点が多いから
それ自体には興味ないし感情移入出来ないから嫌なのかもしれない。
女性の肉体と声で他に大きく女性から逸脱した部分がなければ
実態はどうあれ、なんかイケそうって感じなのかな~。